議員定数についての私の考え。

議会運営の課題に関する検討会議の中で議員定数については一定議論をされてきました。私もそのメンバーなので、提案されてきた経過もよく知っています。

ただ、検討会議自体が賛否を問うものではないということだったので、今議会最終日に会派ぜんしんから、提案会派として賛否を問いたいということでこの議員提出議案として、定数削減の提案がされました。

なので、私もあらためて考えをここで示しておきたいと思います。


議員となり次の春で4年になります。議員の仕事を実際に知ることで議員の議会での発言の重要性や日々の活動の大切さを実感する日々です。
現在西宮市の議会は議員40名です。この40人が48万人(もうすぐ49万人)市民のそれぞれが抱える問題の代弁者として、また行政の監視役として日々活動しています。それぞれの議員の意見が多様であり意見が違う場面もありますが、それが当たり前で意見の相違があり、たくさんの意見があって、その中でしっかり議論ができる場所が議会だと私は考えています。
定数に対して欠員が出ているこの数年の状態でも議会の運営に関しては明確な不都合はなかったとして提案されており、厳しい財政状況の中「身を切る姿勢を見せる!」という主張は、合理性を追求しすぎることで見失うものがあるのではないかと危惧してしまいます。欠員状態の中、反映できない市民の声もあったはずだというところに思いを馳せてほしいとも考えます。
今まででも西宮市議会では議員定数を減らしてきていました。そのことで議会の運営以外の部分でどのような影響があったのかを検証することは非常に難しいことで、そのことももちろん検討会議の中で平行線のまま議論が続きました。

「定数削減するべし」という市民の声は議員への不信感、政治への不信感ではなかろうか?とも思います。こういった声があることに議員一人ひとりがどのように向き合うのか?私たちの活動が市民のみなさんに届いていないのであればさらに私たちの仕事をもっと知ってもらい、開かれた議会になるよう日々努力が必要ですし、今回の議員提出議案が出されたことに対して真摯に向き合うことは必要と思います。

が、実際に女性議員も少なく少数派の意見は誰がどんなふうに届けるのか?会派主義で議員数が減って会派だけの動きになれば合理性を追求する中で、少数の意見は取りこぼされてしまうのではないか?そういったことが頭をよぎります。

無所属で、会派に所属していないことで私は自分の意見を議会の中で言えることができます。(発言しすぎと言われることもありますが...)会派に入ればその会派の考えに沿う必要が出てくることも確かです。

定数削減とともに会派主義をやめてしまうとか、もしくは議員数を増やして議員報酬をうんと減らすとか市民の声を議会に届けるということを考えたときに足かせになるようなことだけはないようにしないといけません。

そういった理由から、私は少しでも多くの声が議会に届くようにとの思いで定数を削減することに賛成はせず、今回の議案には反対しました。